【47都道府県を知ろう】~長野県~
こんにちは!夜に見ている人はこんばんは!家庭教師ひのきあすなろスタッフの百田(ももた)です。
ひのきあすなろの日本の美しい都道府県について、百田が熱く語っていくコーナーです。
このシリーズを通して、日本の都道府県の特色を知ってもらえると嬉しいです。
第20回目の今回は日本の真ん中、長野県です。百田的にはそばのイメージです。
それでは、長野県に向かってG・O・J(ジオグラフ・オブ・ジャパン)!
文部科学省 学習指導要領「生きる力」
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/index.htm
長野県の基本情報
地方:中部地方
面積:約13,500km²(全国4位)
人口:約2,020,000人(全国16位)
県庁所在地:長野市(ながの)
県の木:白樺
県の花:リンドウ
県の鳥:雷鳥
ゆるキャラ:アルクマ(長野県)、六モンキー家族(長野市)
長野県の歴史
古代
全国で発見されている斧形石器の約4分の1にあたる239点を出土し、刃の部分を砥石で研磨したものが多く、世界でももっとも古い磨製石器と言われています。
弥生文化は、まず東海地方から長野県南西部へと伝わり、その後、日本海側の北陸地方から北部へと伝わったと考えられています。
4世紀前期から6世紀初頭にかけて、北信で埴科古墳群や川柳将軍塚古墳など、ヤマト王権の影響を受けた前方後円墳が多数築造されました。
7世紀の大化の改新の後の令制国発足により、信濃国は科野国造の領域の佐久、伊那、高井、埴科、小県、水内、筑摩、更級、諏訪、安曇の十郡を以って成立し、現在の長野県のうち木曽地方を欠く大部分を領域としました。
飛鳥時代には、本多善光の開基による善光寺や長谷寺などが建立され、特に善光寺は諏訪大社と並び今日においても全国的な信仰の拠り所となってます。
奈良時代には信濃国造の末裔とされる金刺部氏と他田部氏が信濃国内の複数の郡司を務める一方、安曇郡司は安曇部氏が務めました。
奈良時代末期から平安時代初期にかけては、信濃国内の渡来人の改姓が続々と進みました。
平安時代の中期には桓武平氏の平将門が、東山道を京に向かう平貞盛に追撃の兵を差し向け、小県郡国分寺付近で貞盛に助勢した滋野氏や小県郡の郡司他田氏と合戦に及ぶなど、この時代における平氏内紛の舞台ともなりました。
平安時代末期に入ると、源氏内紛による1155年の大蔵合戦で敗れた河内源氏源義賢の遺児源義仲が木曾谷の中原兼遠の元に匿われました。
中世
鎌倉時代初期には関東御分国の1つとして鎌倉幕府の知行国でした。
鎌倉時代末期、1331年からの元弘の乱では、信濃の御家人は、信濃守護を兼帯する探題北方北条仲時に従い、後醍醐天皇の拠る笠置山や赤坂城を攻めました。
室町末期にかけて下克上の様相を呈し、在地豪族の諸勢力が拮抗を続けました。埴科郡を拠点に北部や東部に勢力を拡大する村上氏、諏訪大社の信仰を背景とする諏訪氏、信濃守護家として幕府と強い繋がりを持つ小笠原氏、木曽谷に割拠する木曾氏らがその代表格であり、この4氏を後世「信濃四大将」と呼びます。
戦国時代には隣国甲斐国や越後国との関係が深くなりました。諏訪氏は甲斐守護武田氏と同盟を結び1541年には諏訪氏、村上氏は武田信虎と共同して小県郡へ侵攻し海野氏を駆逐しますが、同年に甲斐で晴信(信玄)への当主交代が起こると武田と諏訪の関係は手切となり、諏訪大社上社(諏訪氏)と下社(金刺氏)、諏訪宗家と高遠諏訪家の対立が絡んで、晴信による信濃侵攻が本格化します。
武田氏は諏訪頼重、仁科盛政を滅ぼし、守護小笠原長時や村上義清らを追い、木曾義康や真田幸隆を従属させ、佐久郡において関東管領上杉憲政を破ると、信濃の大半を領国化し有力国衆を家臣団として従えていきますが、それに対して、高梨氏や井上氏など北信国衆は越後の長尾景虎(上杉謙信)を頼り、武田・長尾(上杉)間の北信・川中島を巡る川中島の戦いへと展開します。
武田晴信の死後、その後を継いだ武田勝頼が上杉景勝と同盟を結び、信濃を統一支配したが、1582年、織田信長に敗れて滅亡し、高遠城主仁科盛信らが戦死しました。その後は織田家の版図に加えられ、森長可(北信)、滝川一益(東信)、毛利長秀(伊那)、河尻秀隆(諏訪)、木曾義昌(安曇、筑摩)らに与えられました。
しかし約三ヵ月後には本能寺の変が起き、信濃においても一向一揆が発生したことで織田家の勢力は瓦解し、権力の空白地帯となった信濃には徳川氏・後北条氏・上杉氏の勢力が進出しました。やがて後北条氏は徳川氏と和解・同盟して領地交換により関東へ撤退しました。
この結果、北信濃四郡は上杉氏、それ以外は徳川氏の領国となりましたが、両者の対立の狭間で真田昌幸が自立し第一次上田合戦を生じました。この対立はのちに徳川家康と豊臣秀吉の対立に転じ、家康が秀吉と和睦し後に臣従することで、1590年に関東に移封されると、徳川方の国衆も随行し、譜代大名や旗本となった者も多くいました。
信濃は豊臣方の武将の支配下に収まり、仙石秀久(佐久)、石川数正(安曇、筑摩)、毛利秀頼(伊那)、日根野高吉(諏訪)が入封し、木曽は秀吉の蔵入地となりました。
真田氏はかつては徳川氏に仕えながら豊臣氏の配下に転じ、関ヶ原の戦いにおいて西軍方についたため、徳川秀忠の軍勢は、小山評定から関ヶ原に向けて中山道を進軍する途上、真田昌幸、信繁父子の居城上田城を攻めたが敗れました(第二次上田合戦)。しかし石田三成ら西軍首脳が本戦で敗れたため、昌幸は高野山に流罪となりました。その後、東軍の真田信幸が上田から松代城に入りました。西軍の真田信繁は豊臣方について後年の大坂の陣で武名を挙げました。
近世
江戸時代は、途中廃絶も含めて松代藩等大小計19藩が置かれました。
幕末になると、東海地方から南信濃に平田国学が移入され、水戸学の影響も加わって、俄かに勤王・攘夷思想が盛んになりました。
戊辰戦争では外様の松代藩・須坂藩はいち早く倒幕を表明、その他の譜代諸藩は、当初日和見の態度をとる藩が多く、積極的な佐幕論は見えない中、次第に官軍に恭順していきました。
近代
1871年廃藩置県と県統合によって、長野県が発足しました。
長野県の主要な市区町村
長野市
長野市は長野県の県庁所在地です。1998年には冬季オリンピックが開催され一躍脚光を浴びました。善光寺、川中島古戦場など歴史的な観光名所が多数存在するとともに、自然豊かなスポットも多く、全国から観光客が大勢訪れます。
面積:約834km²
人口:約368,000人
市の木:シナノキ
市の花:リンゴ
市の鳥:無し
松本市
松本市は松本城を中心とする城下町の他、旧開智学校(重要文化財)などの歴史的建造物が多く残っています。市のキャッチフレーズは「文化香るアルプスの城下町」。日本で最も古い小学校のひとつ「開智学校」の開校や、全国9番目の高等学校「松本高等学校」の招致、そして小沢征爾をはじめとする一流の音楽家が集う「サイトウ・キネン・フェスティバル」が1992年から毎年開催されているなど、音楽・山岳・学問の「三ガク都」として有名です。
面積:約978km²
人口:約239,000人
市の木:あかまつ
市の花:れんげつつじ
市の鳥:無し
上田市
上田市は上田盆地全体に市域が広がり、それを二分するように千曲川が流れています。千曲川右岸の旧市街地は戦国時代に真田氏が築いた上田城を中心とする城下町で、左岸の塩田地区は水田地帯が広がります。市街地北側の扇状地ではリンゴをはじめとする果樹栽培が盛んです。さらに北上すると、真田氏発祥の地とされる真田郷(旧:真田町)があります。
面積:約552km²
人口:約152,000人
市の木:無し
市の花:サクラ
市の鳥:無し
長野県の名産・観光地
長野県のご当地グルメ
- そばがき
そばがきは、そば粉に水または熱湯を加えて素早くかき混ぜ、団子状の塊にしたものです。しょうゆやそばつゆなどを付けて食べるのが一般的ですが、甘い汁粉に餅の代わりにそばがきを入れる、和スイーツ「そばがき汁粉」も人気です。 - 戸隠そば
長野県は良質なそばの産地、長野市戸隠(旧戸隠村)で作られ食べられているそばをいいます。戸隠そばは、そばの甘皮を取らずに挽く「挽きぐるみ」のそば粉を使います。蕎麦の色が濃く、打ち方や盛り方にも特徴があります。戸隠そばは、一本の麺棒で四角ではなく丸く伸して、台に打ちつけ粘りとコシを出しています。ザルに盛る時、水切りをせず食べやすいボッチ(塊り)に丸めてに盛り付け瑞々しさを出すのが特徴です。 - 野沢菜
信越地方・長野県下高井郡野沢温泉村を中心に栽培されているのが、信州菜とも呼ばれる野沢菜です。野沢菜イコール野沢菜漬け、ともいえるほど、野沢菜漬けは野沢菜を使った定番郷土料理です。あっさり味とシャキシャキした野菜の歯ごたえを楽しめ、ご飯との相性が抜群です。栽培の途中で間引いた野沢菜をおひたしや浅漬けにするといった食べ方もされています。 - なめたけ
長野県はキノコの名産地で、なめたけの原料であるエノキダケも国内産のほとんどが長野産のものです。エノキダケを醤油とみりんでグツグツ似ただけで簡単にできるなめたけは、ご飯のお供やお酒のおつまみ、大根おろしや冷や奴と合わせておかずの一品にと、家庭でも大活躍しているおなじみの食品です。食物繊維やビタミンなどが豊富でカロリーも低くヘルシーなところも嬉しい一品です。 - 市田柿
長野県の南部地方で栽培されている市田柿。普通の柿として、または干し柿として販売されています。栄養が高く、その中でもポリフェノールが干しぶどうの約3倍弱あります。実の硬さも硬すぎず柔らかすぎず、バランスがとれた柿です。
長野県の観光スポット
- 上高地
日本有数の高原散策コースで知られる上高地。初夏から秋にかけては多くの観光客で賑わう。亜高山帯に位置するため、様々な高山植物や蝶などを目にすることができる。最も一般的なコースは大正池と田代池を結ぶ自然研究路で、起点となる河童橋から2時間程度で往復可能。 - 国宝松本城
松本城は戦国時代の永正年間に造られた深志城が始まりで、現存する五重天守の中では日本最古の国宝の城です。黒と白のコントラストがアルプスの山々に映えて見事な景観です。大天守と、泰平の世になって造られた辰巳附檜・月見檜のまとまりは「複合式天守」と呼び、それぞれの時代を象徴しています。この連結複合式天守は松本城だけに見られる特徴的な構造です。 - 善光寺
1707年(宝永4)に再建した本堂は、仏堂の前面に長大な礼堂を配した撞木造と呼ばれる独特の構造を持ち、東日本最大級の規模を誇る江戸中期仏教建築の傑作である。1953年(昭和28)3月、国宝指定。山門、経蔵は国の重要文化財に指定されている。
さて、長野県についての理解が深まりましたでしょうか??
少しでも「面白いな」とか「分かりやすい」と思ってくれたら嬉しいです!
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