【歴史】日露戦争の大海戦!日本海海戦について
1904年に始まった日露戦争、勝敗を決めたとも言える戦いが日本海海戦でした。
日本海軍司令長官・東郷平八郎が率いる日本海軍連合艦隊は、当時世界最強と呼ばれたロシアのバルチック艦隊に圧勝します。
では、なぜ日本海軍は圧勝できたのでしょうか。
文部科学省 学習指導要領「生きる力」
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/index.htm
日本海海戦時のロシア艦隊について
当時のロシアは、アジア地域に「旅順艦隊」、「ウラジオストック艦隊」という2つの艦隊を配備していました。
日本軍は、まず「旅順艦隊」に狙いをしぼりました。
旅順艦隊の補給や整備をする場所であった旅順を、日本陸軍の力を借り陥落させることを目指しました。
203高地の激戦など多大な被害を受けながらも、旅順からロシア軍を撤退させることに成功しました。
居場所を失い日本海におびき寄られた旅順艦隊は、黄海海戦で敗れます。
直後に、ウラジオストック艦隊も日本海軍によって壊滅状態に追い込まれます。
2つの艦隊を失い劣勢となったロシアは、ヨーロッパに配備していた「バルチック艦隊」をアジアに送ることにしました。
疲弊したバルチック艦隊
ロシアを出発したバルチック艦隊が、日本海にたどり着いたときには本来の力を発揮できる状態ではなかったのを皆さんはご存じでしょうか。
日本海海戦は5月の下旬の出来事です。
この時期北極海は凍っており、ロシアから日本に来るまでには大西洋とインド洋を通る方法しかありませんでした。遠回りとなるこの航路により、ロシアを出港してから日本に来るまでに約半年かかりました。
これだけの長期間ですので、途中で燃料の補給が必要となります。
しかし、この航路で通る港は、ほとんどがイギリスの植民地でした。
日本とイギリスは日英同盟を結んでいたため、イギリスがロシア艦隊への補給を行うことはありませんでした。
途中での補給が難しいため、長い期間の航行に必要な物質を大量に詰め込むことになります。
さらに、長い期間の航行では船底に貝殻などがついてしまいます。当時の軍艦は2ケ月に一度は船底の清掃作業が必要でした。
重すぎる船体と船底の障害物によりロシアの軍艦は本来の能力を出せなくなっていた状態だったのです。
3つのルート
バルチック艦隊が刻一刻と日本に近づく情報が入る中、東郷平八郎は一つの決断を迫られました。
バルチック艦隊がどのルートを通り、ロシアの港であるウラジオストックに入港するかです。
バルチック艦隊は、日本軍との戦いの前に船の整備や乗員休息のためにロシアの港に入る必要があったのです。
3つのルートが考えられました。
一つ目は日本海を通過するルート、二つ目は太平洋側から北海道と青森の間(津軽海峡)を通るルート、三つ目は太平洋側から北海道の上を通るルートです。
艦隊の規模で劣る日本海軍は、3つのルートに艦隊を配備することはできませんでした。
力を1つに結集させなければロシア艦隊を迎撃できないからです。悩んだ末に、東郷は日本海を通るルートに賭けました。
1905年5月27日午前2時、日本海付近の警戒にあたっていた船から「敵の戦艦見ゆ」の無線が入りました。
T字戦法による日本海軍の圧勝
同日午後1時、旗艦「三笠」にZ旗が掲げられます。
Zはアルファベットの最後の文字ということから、後が無い戦いを意味していたとも言われています。
「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」
この東郷の言葉のもと日本海軍は戦闘態勢に入りました。真正面からバルチック艦隊に向かっていく連合艦隊。1万メートル、9千メートル、8千メートルと両艦隊は近づいていきます。
「取り舵いっぱい!」
高々と上がった東郷の右手が左に振られました。全艦一斉に左に向きをかえました。
縦1列に進んでくるバルチック艦隊に対し、連合艦は横向きに進んでいきます。両艦隊はTの文字をした配置になりました。
連合艦隊は横向きになったことで、一番前の艦から一番後ろの艦までが一斉に攻撃をすることが可能となりました。
約30分で勝敗は決し、バルチック艦隊は散り散りになって敗走していきました。
名参謀・秋山真之
T字戦法を含め日本海海戦における作戦を立案したのは、参謀・秋山真之でした。
東郷は、秋山の考えた作戦を「智謀如湧(ちぼうわくがごとし)」と高く評価しました。
ロシア艦隊を発見した際に、日本軍大本営に送った有名な「本日天気晴朗なれども波高し」の電文は、秋山が考えたものです。
また日露戦争終了後、連合艦隊解散時に東郷が訓示に使用した言葉も秋山が考えたものでした。
「新明はただ平素の鍛錬に力め戦わずしてすでに勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して地平に安ずる者よりただちにこれをうばふ。古人曰く、勝って兜の緒を締めよ」
この文章は世界各国で翻訳されました。
アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトは、アメリカ全軍に配布するほど感動したそうです。
秋山と俳人・正岡子規は同郷(愛媛県松山市)で親友の一人でした。
日本海海戦勝利が日本に与えた影響
最強と呼ばれたバルチック艦隊に完全勝利した日本海軍。
この事実は長年に渡って大きな艦隊と大型の戦艦が強いという印象を日本海軍に残すことになります。
1941年から始まる太平洋戦争においても、この考えは根強く残りました。
しかし、日本は世界最大の戦艦「大和」を造ったにも関わらず、当時の世界の戦闘統制と対空戦闘に特化していたため、ほぼ大きな戦闘を行うこともなく海の藻屑となりました。
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