【歴史】武士の時代の終幕~戊辰戦争~
約250年以上続いた徳川幕府が15代将軍慶喜の「大政奉還」という決定によって終わった直後、「戊辰戦争」は起きました。
この戦いは、日本最後の内戦であり、武士の時代に終わりを告げる戦いとなりました。
文部科学省 学習指導要領「生きる力」
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/index.htm
戊辰戦争が始まったきっかけ
ペリー到来
戊辰戦争は、1868年の鳥羽伏見の戦いで始まり、翌年の1869年5月の五稜郭の戦いで終わる、新政府軍と旧幕府軍との内戦です。
では、なぜ戊辰戦争は起こったのでしょうか?
戊辰戦争が始まる時代は、幕末の時代。この幕末の時代は、海外の国々が日本に開国を求めてきていました。
そして、ついにアメリカから来たペリーによって、日本は開国しました。
1854年3月に日米和親条約、1858年7月には日米修好通商条約を結びました。
この条約は日本にとってとても不平等な条約であり、日本国内は混乱状態となりました。
そこで、立ち上がったのは、薩長土肥と呼ばれる長州藩・薩摩藩・土佐藩・肥前藩の四藩でした。
特に、長州藩と薩摩藩は「薩長同盟」を結び、1867年、朝廷(天皇)から幕府討伐の勅書を手に入れました。
この勅書は、朝廷が正式に幕府を討伐することを倒すことを認めたということを表します。
しかし、幕府は自分から政権を朝廷に返還する「大政奉還」を行いました。
そのため、勅書の意味がなくなり、討伐はできず、幕府は力を依然と持ち続けることになりました。
すると、討伐を目指していた勢力は、この状況を打破するためクーデターを起こします。
そして、その時に新政府成立の宣言となる「王政復古の大号令」が発表されました。
この宣言により幕府は廃止され、徳川慶喜は辞官納地(将軍をやめ、徳川の領地を取り上げること)を要求されました。
そこで、徳川慶喜は辞官納地と引き換えに新たな政権の主要メンバーである議定任命されようと、大坂で上洛の準備をしました。
西郷隆盛の作戦
一方、幕府を武力で討伐しようしていた西郷隆盛(薩摩藩)は浪士を500人集め、江戸市中で強盗、放火などの挑発行為を繰り返しました。
ついには、1867年、幕府は市中取り締まり担当であった庄内藩の屯所に発砲し、薩摩藩を襲撃するという事件が起きました。
これが、まさに西郷隆盛の狙いで、幕府から戦端を開いたという事実を作ったのです。
そして、この知らせは徳川慶喜のいた大阪へ届くと討薩の声が高まってしまい、幕府側の主戦論を抑えることができなくなって、戊辰戦争が始まることとなったのです。
戊辰戦争①
まず最初に始まった戊辰戦争の戦いは、1868年1月「鳥羽伏見の戦い」でした。
この戦いでは、旧幕府軍約1万の兵力が京都に向けて進軍し、伏見奉行所と淀の二手に分かれました。
それに迎え撃つ新政府軍は同様に伏見方面と鳥羽方面に分かれて待機しました。この時の新政府軍側の兵力は5000人ほどで、旧幕府軍の半数以下でした。
結果は、新政府軍の勝利でした。
なぜ、新政府軍は兵力が半数以下にもかかわらず、勝てたのでしょうか?
その理由は、二つあります。
鳥羽伏見の戦い:新政府軍が勝った理由①
一つ目は、武器が鉄砲だったことです。
江戸時代は武士の時代であり、武士は刀を使って戦ってきました。旧幕府軍も刀を使って、戦いました。
しかし、新政府軍はイギリスから輸入した鉄砲を使った洋式軍隊で戦いました。
なので、旧幕府軍は兵力が多かったのにも関わらず、訓練された洋式軍隊にはかなわず、負けてしまったのです。
鳥羽伏見の戦い:新政府軍が勝った理由②
二つ目は、錦の御旗を新政府軍が掲げたことです。
錦の御旗とは、天皇が朝敵(天皇の敵)討伐をするもの(ここでは新政府軍)に与えるもので、軍事的指揮権を委任することを意味します。簡単に言うと、新政府軍は朝廷の軍隊である官軍となり、旧幕府軍は朝廷の敵である賊軍となるということを意味するのです。
なので、錦の御旗が新政府軍より掲げられたことで、旧幕府軍は戦意喪失してしまい、大阪城まで撤退することになりました。
この鳥羽伏見の戦いに負けたことにより、この戊辰戦争の中の戦いでことごとく負けてしまいます。
鳥羽伏見の戦いが終わった後、新政府軍は江戸に向けて、旧幕府の討伐に乗り出します。
しかし、旧幕府側の勝海舟と薩摩藩の西郷隆盛の会談によって、江戸での戦いは回避され、「江戸城無血開城」がなされました。
新政府軍と旧幕府軍の戦いは東へと移っていきます。
戊辰戦争②
東北戦争
次に勃発したのは、東北戦争です。
東北戦争では、旧幕府軍側の勢力となる藩で結成された「奥羽越列藩同盟」が生まれました。
しかし、戦況はどんどんと悪化し、またしても旧幕府軍は新政府軍に負けてしまいます。
そして、戊辰戦争の最後の戦いである五稜郭の戦いが起こりました。
五稜郭の戦い
旧幕府軍の大鳥圭介や新選組の土方歳三、榎本武揚らが、北海道の函館にある五稜郭を占領し、函館政権を作りました。そして、新政府軍と戦っていきます。
しかし、旧幕府軍の敗戦が続き、疲弊する旧幕府軍を逆手にして、ついに、新政府軍の総攻撃が始まり、旧幕府軍の榎本武揚らは、新政府軍の本陣に惜しくも投降し、五稜郭の戦いは終結したのでした。
まとめ
この五稜郭の戦いが終結したことで、1年5か月に渡る戊辰戦争が終わったのです。
戊辰戦争の結果、日本全国が新政府によって統一され、明治維新が行いやすくなりました。
そして、今まで続いた武士の時代は終わりを告げました。
最後に、戊辰戦争とは、1868年1月の鳥羽伏見の戦いから1869年5月の箱館戦争までの戦いのことをいいます。
薩長を中心とする新政府軍と旧幕府や反新政府の諸藩が戦った内戦だということを覚えていってください。
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