【名城紀行】~白石城~
初めまして!いつも見てくれている人はありがとう!家庭教師ひのきあすなろスタッフの仙谷(せんごく)です。
先輩スタッフの百田さんから指令を受けて、大好きなお城と歴史の勉強に役立つ内容を発信していきます!
このシリーズを通して、歴史の面白さ、現代に伝わる古代のルーツを知ってもらえると嬉しいです。
皆さんの勉強にも旅行にも役立つ記事になるはずです!温故知新の歴史の世界にいらっしゃいませ!!
今回は白石城(しろいし)について紹介していきます。現在の宮城県。旧国名だと出羽国にあったお城です。
お城と歴史のロマンを体感しましょう!!
文部科学省 学習指導要領「生きる力」
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/index.htm
白石城の基本情報
別名:益岡城
城郭構造:梯郭式平山城
天守構造:大櫓(三階櫓)複合式層塔型3重3階、現在は復元天守
築城主:白石氏
築城年:詳細不明【鎌倉時代】
主な城主:白石氏、蒲生氏、上杉氏、片倉氏
白石城は蒲生氏郷が会津若松城の支城として築いた城ですが、伊達政宗の右腕であった片倉小十郎景綱の居城として知られています。一国一城令(※)が敷かれる中、仙台藩では仙台城に加えて白石城の存続が認められ、九州の八代城などと並んで、江戸幕府の一国一城制の対象外とされて明治維新まで存続した数少ない城のひとつです。復元された天守は、戦後の木造復元天守としては高さ、広さとも日本最大級を誇ります。
※「一国一城令」
お城ファンにとってはタイムマシンに乗ってでも改正を要求したい法令の一つです。慶長20年閏6月13日(1615年8月7日)に江戸幕府が制定した諸大名に対し、居城以外のすべての城の破却を命じた法令です。
目的は大名、とくに西国諸大名の軍事力を削減するためであり、数日のうちに約400の城が壊されたといいます。この法制に各大名はそれぞれに対応し、分家統制の目的で積極的に動いた藩や、領地替えで移転した先に城が無かったため新築せねばならず困窮した藩、一部の城を破却せず密かに維持した藩など様々でした。
白石城の歴史
白石城の歴史を語るためのキーワードは
- 伊達氏と上杉氏と、時々、豊臣
- 片倉氏
の2つですね。順番に見ていきましょう!!
伊達氏と上杉氏と、時々、豊臣
タイトルの元ネタは「オカンとボクと、時々、オトン」リリーフランキーの小説です。
白石城のルーツは不明な点が多いですが、中世に刈田氏が居城としていて、後に白石氏を名乗り、伊達氏の勢力に組み込まれていったと言われています。
豊臣秀吉によって奥州仕置が行われると、天正19年(1591年)より、た蒲生氏郷の領地となり、白石城には氏郷の家臣蒲生郷成が入りました。この時に近世的な城へと改造されて益岡城と呼ばれ、城下町も造られたと伝わっています。
慶長3年(1598年)に蒲生氏は宇都宮に移封され、代わりに上杉景勝が会津へ入り、その家臣である甘糟景継が白石城主となりました。2年後の慶長5年(1600年)に、徳川家康が上杉景勝を討たんとする会津征伐が起こると、家康に接近していた伊達政宗は上杉領に攻めかかり、白石城の戦いが起こりました。
甘糟景継に代わって城を守っていた登坂勝乃は伊達軍の攻勢の前に降伏し、白石城は再び伊達氏の領土となりました。再び伊達氏の城となった白石城には、まず政宗の叔父の石川昭光が入りましたが、慶長7年(1602年)に政宗の側近である片倉景綱が白石城を受領しました。その後、一国一城令を免れ、明治時代まで片倉氏が治めていきました。
片倉氏について
片倉氏は戦国時代から江戸時代まで伊達氏に仕えた武士の一族です。家紋は九曜です。江戸時代の代々の当主は初代片倉景綱にならって片倉小十郎を名乗り、藩の内外の人々は通常この名で呼びました。
片倉小十郎景綱について紹介していきます。米沢の大大名、独眼竜伊達政宗の右腕の家臣として知られています。天正13年(1585年)の人取橋の戦いや天正16年(1588年)の郡山合戦、天正17年(1589年)の摺上原の戦い、天正18年(1590年)の小田原征伐、文禄2年(1593年)の文禄・慶長の役、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いなど政宗の主要な戦争の大半に参加して、伊達氏の危難を救っています。小田原征伐に際しては豊臣秀吉方へ参陣するよう述べ、伊達政宗に小田原参陣を決意させました。
関ヶ原の後の慶長7年(1602年)、主君・政宗が仙台藩主になると一国一城令が敷かれる中、特例として残された白石城1万3000石の城主を賜るも病のため、亘理領内の神宮寺村で療養し、慶長10年(1605年)の春に白石へ移りました。
仙谷から見た白石城
白石城は、続百名城に指定されています。復元天守は大河ドラマ「独眼竜政宗」で片倉小十郎がフィーチャーされて復元への後押しになったそうです。
仙台城、多賀城と並んで宮城県三名城とされています。贅沢な木材をふんだんに使い復元された天守を是非ご覧ください!
さて、白石城についての理解が深まりましたでしょうか??
少しでも「面白いな」とか「分かりやすい」と思ってくれたら嬉しいです!
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