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【名城紀行】~清州城~

初めまして!いつも見てくれている人はありがとう!家庭教師ひのきあすなろスタッフの仙谷(せんごく)です。

先輩スタッフの百田さんから指令を受けて、大好きなお城と歴史の勉強に役立つ内容を発信していきます!
このシリーズを通して、歴史の面白さ、現代に伝わる古代のルーツを知ってもらえると嬉しいです。

皆さんの勉強にも旅行にも役立つ記事になるはずです!温故知新の歴史の世界にいらっしゃいませ!!


今回は清州城(きよす)について紹介していきます。現在の愛知県。旧国名だと尾張国にあったお城です。

お城と歴史のロマンを体感しましょう!!

文部科学省 学習指導要領「生きる力」

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/index.htm
目次

清州城の基本情報

別名:清須城

城郭構造:平城

天守構造:不明、現在は望楼型3重4階の模擬天守

築城主:斯波義重

築城年:1405年(応永12年)【室町時代】

主な城主:斯波氏、織田氏、福島氏、徳川氏

清洲城は織田信長の居城として知られ、信長はこの城から「桶狭間の戦い」に出陣しています。信長の後継者を決める、いわゆる「清洲会議」が行われた城でもあり、歴史的にも大きな役割をになった城です。「関ケ原の戦い」の際には福島正則の居城となっており、東軍の後方拠点として利用されました。江戸時代に入って、徳川家康により清須から名古屋への遷府(清洲越し)が指令されると、清須城は名古屋城築城のための資材として解体されました。なかでも名古屋城の西北隅櫓は清須城天守の資材を転用して作られたため「清須櫓」と呼ばれています。

清州城の歴史

清州城の歴史を語るためのキーワードは

  1. 信長入城
  2. 清州会議から清洲越し

の2つですね。順番に見ていきましょう!!

尾張の中心だった清須城

1405年(応永12年)、尾張・遠江・越前守護の管領斯波義重によって築城されたと言われています。一時期、「織田弾正忠家」の当主織田信秀が清須奉行として居城した以外は常に清洲織田氏(織田大和守家)の居城としてあり、尾張下四郡を支配する守護代織田家の本城として機能していました。
織田信秀が古渡城に拠点を移すと守護代織田信友が入城しましたが、1555年(弘治元年)織田信長と結んだ織田信光によって信友が殺害され、以降信長が那古野城から移って大改修を加えた後、本拠として居城しました。信長は、この城から桶狭間の戦いに出陣するなど、約10年間清須を居城としました。1562年(永禄5年)には信長と徳川家康との間で同盟がこの城で結ばれました。1563年(永禄6年)には美濃国斎藤氏との戦に備えて小牧山城に移り、以後は番城となりました。

清州会議からと清須越しまで

1582年(天正10年)の本能寺の変で信長が斃れると、清洲城にて清洲会議が行われ、城は次男・織田信雄が相続しました。1586年(天正14年)に信雄によって2重の堀の普請、大天守・小天守・書院などの造営が行われています。信雄は小牧長久手の戦いでの単独講和など愚将のイメージが強いですが、清洲城の増設に関しては手腕を発揮し、「関東の巨鎮」と称されるまでに発展を遂げます。
しかし、小田原征伐後の豊臣秀吉の国替え命令に信雄が逆らって除封され、豊臣秀次の所領に組み込まれた後、1595年(文禄4年)には福島正則の居城となりました。

1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの折りには、東軍の後方拠点として利用され、戦後は安芸に転封した福島正則に代わり徳川家康の四男・松平忠吉が入るが、忠吉が関ヶ原の戦傷がもとで病死すると1607年(慶長12年)には家康の九男徳川義直が入城し、清洲藩の本拠となりました。

1609年(慶長14年)徳川家康によって、清須から名古屋への遷府が指令されると、1610年(慶長15年)より清須城下町は名古屋城下に移転されました。これを清洲越しと呼びます。清須城も名古屋城築城の際の資材として利用され、特に、名古屋城御深井丸西北隅櫓は清須城天守の資材を転用して作られたため「清須櫓」とも呼ばれます。そして、1613年(慶長18年)名古屋城の完成と城下町の移転が完了したことにより廃城となりました。

仙谷から見た清州城

清州城は、百名城にも続百名城にも指定されていませんが、地元の人々に愛されたお城です。

現在、城跡の一部が「清洲公園」と「清洲古城跡公園」として整備されており、信長と濃姫の銅像が建てられています。また、1989年(平成元年)には町制100周年を記念して、模擬天守が築かれました。この模擬天守は東海道新幹線の車窓から見ることができます。

さて、清州城についての理解が深まりましたでしょうか??
少しでも「面白いな」とか「分かりやすい」と思ってくれたら嬉しいです!

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