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【名城紀行】~岡崎城~

初めまして!いつも見てくれている人はありがとう!家庭教師ひのきあすなろスタッフの仙谷(せんごく)です。

先輩スタッフの百田さんから指令を受けて、大好きなお城と歴史の勉強に役立つ内容を発信していきます!
このシリーズを通して、歴史の面白さ、現代に伝わる古代のルーツを知ってもらえると嬉しいです。

皆さんの勉強にも旅行にも役立つ記事になるはずです!温故知新の歴史の世界にいらっしゃいませ!!

今回は岡崎城(おかざき)について紹介していきます。現在の愛知県。旧国名だと三河国にあったお城です。

お城と歴史のロマンを体感しましょう!!

文部科学省 学習指導要領「生きる力」

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/index.htm
目次

岡崎城の基本情報

別名:龍城

城郭構造:梯郭式平山城

天守構造:複合連結式望楼型3重3階、現在は復興天守

築城主:西郷稠頼・頼嗣

築城年:1455年(康正元年)頃【室町時代】

主な城主:西郷氏、松平氏、田中氏、本多氏、水野氏

岡崎城は徳川家康の生まれた城として知られています。「桶狭間の戦い」で今川義元が敗死した際に家康(当時は松平元康)が今川氏から独立した城でもあります。江戸時代には家康誕生の城として重要視され、譜代大名が歴代の城主を務めています。存城当時の東海地方の城では3番目に数えられる規模でした。

岡崎城の歴史

岡崎城の歴史を語るためのキーワードは

  1. 家康の独立
  2. 松平信康

の2つですね。順番に見ていきましょう!!

岡崎松平家の成立から家康の独立まで

岡崎城は1452年(享徳元年)または1455年(康正元年)に三河国守護仁木氏の守護代西郷氏が北方に対する砦として龍頭山に築城したのが始まりです。15世紀後半に松平氏3代松平信光が城主西郷頼嗣を破り、西郷氏娘婿となった五男松平光重が城主となり岡崎松平家が成立しました。

1531年(享禄4年)、松平清康(徳川家康の祖父)が城主となり、城郭を整備して勢力を広げます。しかし、1535年(天文4年)、清康は尾張国の陣中で家臣の謀反により命を落とし、子の松平広忠が跡を継ぎます。そして、1542年(天文11年)に城内で竹千代(後の徳川家康)が生まれます。けれども1547年(天文16年)、竹千代は人質として今川家の駿府城に送られます。(正確には2年間尾張国に送られています)災難は重なります。1549年(天文18年)に父・広忠が死去し、岡崎城は今川家の支城として城代が置かれ、山田景隆、三浦義保、糟谷備前らが城代を務めました。

しかし、1560年(永禄3年)転機が訪れます。桶狭間の戦いで今川義元が敗死すると、松平元康(後に家康、徳川へ改姓)は岡崎城を取り戻し、今川家から独立します。翌年1561年(永禄4年)には織田信長との間で同盟を結びます。世にいう清州同盟です。この同盟は約20年間続く戦国時代には大変珍しく長く続いた同盟でした。

松平信康とは

松平信康は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将です。徳川家康の長男で、母は今川義元の姪・築山殿です。後に松平宗家の居城の岡崎城主(愛知県岡崎市)を務めたため、祖父・松平広忠同様に岡崎 三郎と名乗りました。

1559年(永禄2年)、駿府で生まれますが、今川氏の人質として幼少期を過ごし、桶狭間の戦いの後に徳川軍の捕虜となった鵜殿氏長・氏次との人質交換により岡崎城に移ります。

1567年(永禄10年)、信長の娘である徳姫と結婚し、共に9歳の形式の夫婦とはいえ岡崎城で暮らします。そして同年に、家康は浜松城(浜松市中区)に移り、岡崎城を譲られました。1570年(元亀元年)に正式に岡崎城主となりました。

勇猛果敢な武将として有名で、1575年(天正3年)の長篠の戦いでは17歳の若さで徳川軍の一手の大将として参加しました。その後も武田氏との戦いでいくつもの軍功を挙げ、特に1577年(天正5年)の遠江国横須賀の戦いで退却時の殿軍を務め、武田軍に大井川を越させなかったといいます。岡崎衆を率いて家康をよく補佐しました。

しかし、1579年(天正7年)事件が起こります。家康が岡崎城を訪れ、翌日信康は岡崎城を出ることになり、大浜城に移されました。その後、信康は遠江の堀江城、さらに二俣城に移されたうえ、9月15日に家康の命により切腹させられました。享年わずか21歳でした。
なお、岡崎城から信康を出した後に松平家忠をはじめとした徳川家臣たちに「信康に通信しない」という起請文を書かされていたことから岡崎衆への影響力の高さが伺えます。家康も関ヶ原の戦いで戦況が一時不利になった時、狼狽のあまり「せがれがいればこんな思いをしなくて済んだ」と口走り、側にいた家臣が遅参している秀忠の事だと思い「間もなくご到着されると思います」と声を掛けたところ家康は、「そのせがれの事ではないわ!」と吐き捨てたという逸話が残っています。存命だと徳川家の未来は変わっていたかもしれませんね。

仙谷から見た岡崎城

岡崎城は、百名城に指定されています。また、名古屋城、犬山城と並んで愛知県三名城とも称されます。

現在は岡崎公園として整備され、桜の名所となっています。公園内には復興天守のほか、家康や本多忠勝の銅像があります。毎時30分と00分に家康が出てくる、「家康公からくり時計塔」も必見です。

さて、岡崎城についての理解が深まりましたでしょうか??
少しでも「面白いな」とか「分かりやすい」と思ってくれたら嬉しいです!

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