【名城紀行】~彦根城~
初めまして!いつも見てくれている人はありがとう!家庭教師ひのきあすなろスタッフの仙谷(せんごく)です。
先輩スタッフの百田さんから指令を受けて、大好きなお城と歴史の勉強に役立つ内容を発信していきます!
このシリーズを通して、歴史の面白さ、現代に伝わる古代のルーツを知ってもらえると嬉しいです。
皆さんの勉強にも旅行にも役立つ記事になるはずです!温故知新の歴史の世界にいらっしゃいませ!!
今回は彦根城(ひこね)について紹介していきます。現在の滋賀県。旧国名だと近江国にあったお城です。
お城と歴史のロマンを体感しましょう!!
文部科学省 学習指導要領「生きる力」
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/index.htm
彦根城の基本情報
別名:金亀城
城郭構造:連郭式平山城
天守構造:複合式望楼型 3重3階地下1階【現存12天守】
築城主:井伊直継
築城年:1604年(慶長9年)【安土桃山時代】
主な城主:井伊氏(30万石)
彦根城は徳川四天王のひとりである井伊直政の子、直継によって築かれた城です。以降、多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城として用いられました。幕末に起きた「桜田門外の変」で暗殺された大老、井伊直弼は藩主となるまでをこの城下で過ごしており、当時の屋敷は「埋木舎(うもれぎのや)」としていまも現存しています。
彦根城の歴史
彦根城の歴史を語るためのキーワードは
- 井伊直政
- 井伊氏
の2つですね。順番に見ていきましょう!!
徳川四天王の一人、赤備えの井伊直政
井伊直政は戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名です。酒井忠次・本多忠勝・榊原康政と並んで徳川四天王と称されます。
幼名は虎松。幼いころから今川氏に命を狙われ過酷な幼少時代を過ごしました。1575年(天正3年)、家康に見出され、井伊氏に復することを許され、小姓として取り立てられました。
1582年(天正10年)、22歳で元服し直政と名乗ります。同年の本能寺の変では家康の伊賀越えに従い、滞在先の堺から三河国に帰還します。天正壬午の乱で北条氏との講和交渉を徳川方の使者として担当し、家康が武田氏の旧領である信濃国・甲斐国を併呑すると、武田家の旧臣達を多数に付属されて一部隊を編成することとなり、旗本先手役の侍大将になりました。「井伊の赤備え」の誕生です。
1584年(天正12年)の小牧・長久手の戦いで、直政は初めて赤備えを率いて武功を挙げ、名を知られるようになります。また小柄な体つきで顔立ちも少年のようであったというが、赤備えを纏って兜には鬼の角のような立物をあしらい、長槍で敵を蹴散らしていく勇猛果敢な姿は「井伊の赤鬼」と称され、諸大名から恐れられました。
1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いでは家康本軍に随行し、本多忠勝と共に東軍の軍監に任命され、東軍指揮の中心的存在となりました。同時に全国の諸大名を東軍につける工作を行い、直政の誘いや働きかけにより、京極高次、竹中重門、加藤貞泰、稲葉貞通、関一政、相良頼房、犬童頼兄らを西軍から東軍に取り込みました。
関ヶ原の決戦終盤は島津義弘の甥である島津豊久を討ち取り、更に退却する島津軍を百余騎率いて追撃します。遂に義弘の目前まで迫り、義弘討ち取りの命を下した際に、島津軍の柏木源藤に足を狙撃され、落馬してしまいます。
関ヶ原の戦い後は、足に大怪我を負ったにも関わらず、戦後処理と江戸幕府の基礎固めに尽力しました。この功績を認められ、石田三成の旧領である近江国佐和山(滋賀県彦根市)18万石を与えられました。家康は、西国の抑えと非常時に朝廷を守るため、京都に近い佐和山に井伊家を配したと伝えられます。
1602年(慶長7年)2月1日彦根城築城途中に佐和山城で直政は死去しました。享年42歳でした。遺体は遺意により、当時芹川の三角州となっていた場所で荼毘に付され、その跡地に長松院が建立されました。
華麗なる一族、井伊氏
直政の死後、家督を継いだ井伊直継が幼少であったため、直政の遺臣である家老の木俣守勝が徳川家康と相談して直政の遺志を継ぎ、1603年(慶長8年)琵琶湖に面した彦根山(別名、金亀山)に彦根城の築城を開始しました。
築城には公儀御奉行3名が付けられ、尾張藩や越前藩など7か国12大名(15大名とも)が手伝いを命じられる天下普請でした。1606年(慶長11年)2期までの工事が完了し、同年の天守完成と同じ頃に直継が入城しました。大坂夏の陣で豊臣氏滅亡後、1616年(元和2年)彦根藩のみの手により第3期工事が開始されました。この時に御殿が建造され、1622年(元和8年)すべての工事が完了し、彦根城が完成しました。その後、井伊氏は加増を重ね、1633年(寛永10年)には徳川幕府下の譜代大名の中では最高となる35万石を得るに至りました。
幕末に幕府大老を務めた井伊直弼は、35歳で藩主となるまでこの城下町で過ごしています。
仙谷から見た彦根城
彦根城は、百名城に指定されています。他にも、現存12天守、国宝5城(他には姫路城、犬山城、松本城、松江城)に指定されています。
また、安土城、小谷城と並んで滋賀県三名城とも称されます。
天秤櫓がやはり有名で見ごたえがありますね。現存12天守の中では一番アクセスがいいお城な気がします。
さて、彦根城についての理解が深まりましたでしょうか??
少しでも「面白いな」とか「分かりやすい」と思ってくれたら嬉しいです!
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