【名城紀行】~姫路城~
初めまして!いつも見てくれている人はありがとう!家庭教師ひのきあすなろスタッフの仙谷(せんごく)です。
先輩スタッフの百田さんから指令を受けて、大好きなお城と歴史の勉強に役立つ内容を発信していきます!
このシリーズを通して、歴史の面白さ、現代に伝わる古代のルーツを知ってもらえると嬉しいです。
皆さんの勉強にも旅行にも役立つ記事になるはずです!温故知新の歴史の世界にいらっしゃいませ!!
今回は姫路城(ひめじ)について紹介していきます。現在の兵庫県。旧国名だと播磨国にあったお城です。
お城と歴史のロマンを体感しましょう!!
文部科学省 学習指導要領「生きる力」
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/index.htm
姫路城の基本情報
別名:白鷺城
城郭構造:渦郭式平山城
天守構造:連立式望楼型【現存12天守】
築城主:赤松貞範
築城年:1346年(正平元年/貞和2年)【南北朝時代】
主な城主:小寺氏・黒田氏・池田氏・本多氏・松平氏・榊原氏・酒井氏
姫路城は日本を代表する城で、国宝や世界遺産に選ばれています。黒田官兵衛が毛利攻めの拠点にするようにと羽柴秀吉に献上した城としても知られています。江戸時代初期に建てられた天守や櫓等の主要建築物が現存し、国宝や重要文化財に指定されています。
姫路城の歴史
姫路城の歴史を語るためのキーワードは
- 姫路城への改名
- 池田輝政
の2つですね。順番に見ていきましょう!!
実は秀吉が名付けた姫路城
1333年(元弘3年)、元弘の乱で護良親王の令旨を奉じて播磨国守護の赤松則村が挙兵し、上洛途中の姫山にあった称名寺を元に縄張りし、一族の小寺頼季に守備を命じました。南北朝の争乱で足利尊氏に呼応した則村が再度挙兵し、1346年(南朝:正平元年、北朝:貞和2年)、次男の赤松貞範が称名寺を麓に移し姫山に築城し姫山城としました。1349年(南朝:正平4年、北朝:貞和5年)、貞範が新たに庄山城を築城して本拠地を移すと、再び小寺頼季が城代になって以後は小寺氏代々が城代を務めました。
1576年(天正4年)、中国攻めを進める織田信長の命を受けて羽柴秀吉が播磨に進駐すると、播磨国内は織田氏につく勢力と中国路の毛利氏を頼る勢力とで激しく対立、最終的には織田方が勝利し、毛利方についた小寺氏は没落しました。ただし小寺氏の家臣でありつつも早くから秀吉によしみを通じていた黒田孝高はそのまま秀吉に仕えることとなりました。1577年(天正5年)、孝高は二の丸に居を移し本丸を秀吉に譲りました。
1580年(天正8年)、三木城・英賀城などが落城し播磨が平定されると孝高は秀吉に「本拠地として姫路城に居城すること」を進言し姫路城を献上、自らは市川を挟んで姫路城の南西に位置する国府山城に移りました。秀吉は、同年4月から翌年3月にかけて行った大改修により姫路城を姫山を中心とした近世城郭に改めるとともに、当時流行しつつあった石垣で城郭を囲い、太閤丸に天守を建築し姫路城に改名しました。
1582年(天正10年)6月、秀吉は主君・信長を殺害した明智光秀を山崎の戦いで討ち果たし、一気に天下人の地位へ駆け上っていきます。このため1583年(天正11年)には天下統一の拠点として築いた大坂城へ移動、姫路城には弟・豊臣秀長が入ったが1585年(天正13年)には大和郡山へと転封、替わって木下家定が入りました。
姫路城を今の姿に仕上げた、池田輝政
池田輝政は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名です。
1564年(永禄7年)、織田信長の重臣・池田恒興の次男として尾張国清洲で生まれました。父や兄・元助と共に信長に仕え、輝政は信長の近習となります。
1582年(天正10年)6月、本能寺の変で信長が明智光秀に討たれると、中国攻めから引き返して尼崎に到着した羽柴秀吉と合流した恒興は、このとき、秀吉の甥・秀次を恒興の婿に、輝政を秀吉の養子とすることを約束しました。
1584年(天正12年)、小牧・長久手の戦いにおいて、父の恒興と兄の元助が討死したため、家督を相続し美濃大垣城主13万石を領しました。その後岐阜城主になり、紀州征伐や富山の役(佐々成政征伐)、九州平定など秀吉の主要な合戦の大半に従軍しました。
1598年(慶長3年)8月、秀吉が没すると家康に接近しました。また、福島正則や加藤清正ら武断派の諸将らと共に行動し、文治派の石田三成らと対立しました。1599年(慶長4年)、武断派と文治派の仲裁をしていた前田利家が死去すると、七将の一人として福島正則・加藤清正・加藤嘉明・浅野幸長・黒田長政らと共に石田三成襲撃事件を起こしました。
そして、1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの戦功により三河吉田15万石から播磨52万石(播磨一国支配)で入城しました。輝政は徳川家康から豊臣恩顧の大名の多い西国を牽制する命を受けて1601年(慶長6年)から8年掛けた大改修で姫山周辺の宿村・中村・国府寺村などを包括する広大な城郭を築きました。
仙谷から見た姫路城
姫路城は、百名城に指定されています。それだけでなく、国宝や世界遺産に選ばれています。現存12天守のひとつで、もっとも大きい現存天守です。
現在の天守は江戸時代に入ってから「西国将軍」と称された池田輝政によって建て直されたものです。中世から修復を繰り返されているため、さまざまな時代の石垣を見ることができます。また姫路城は映画やドラマのロケが行われることも多く、しばしば江戸城など他の城の代わりとして撮影されています。
さて、姫路城についての理解が深まりましたでしょうか??
少しでも「面白いな」とか「分かりやすい」と思ってくれたら嬉しいです!
勉強にとって一番大事なのは「動機付け」、つまりはきっかけです。
ひのきあすなろでは体験授業を通して勉強へのきっかけを作っていますので、是非一度お試しください!!
試してみよう!無料の体験授業実施中!
ひのきあすなろでは、無料の体験授業を実施しています。
ぜひ具体的な指導の様子を知る際に、ご活用ください!
体験授業の日程は相談頂けるので、忙しいお子さんにもぴったりです。
- 「なかなか勉強をしてくれない」
- 「ニガテを克服させたい」
など、勉強に関するあらゆるお悩みをアドバイザーが解決致します!
家庭教師を検討している方、勉強に関するお悩みをお持ちの方、塾からの乗り換えを考えている方など、どんなお子さんもOK!
入会するかは、体験授業の後、じっくりとご家族でご相談いただければけっこうです。
まずは、お気軽に「無料の体験授業」で私立大学受験に関するアドバイスをうけてみませんか?
名城紀行一覧
北海道・東北地方
関東地方
北信越地方
東海地方
関西地方
中国地方
四国地方
九州地方
ひのきあすなろが実施する学年別の指導法
ひのきあすなろの指導では、勉強のやり方や習慣作りの指導から受験対策まで、お子さんの目標に合わせたカリキュラムを組んで指導をさせて頂いております。
ひのきあすなろが勧める勉強法は学年別・目的別に以下のページにて詳しくご案内させていただいています。
対面指導・オンライン指導から選べる指導法
家庭教師のひのきあすなろでは、対面指導・オンライン指導の両方に対応しています。
対面での指導が難しい地域にお住まいの方や、感染症への感染リスク軽減などで対面指導が難しい場合などでも、指導を続けられる体制を整え、お子さんの学びがとまらないよう制度を整えて、指導を行っています。
無料の体験授業を実施中
家庭教師のひのきあすなろでは、無料の体験授業を実施しています。
小学生のお子さんには、一人で勉強する時の基本的な勉強の進め方や、予習復習のやり方など、勉強習慣を身に付け正しい勉強方法を身に付けていけるようなアドバイスをさせて頂きます。
小学生のお子さんは、まだまだ親御さんがサポートしてあげることが必要となることも多い年ごろです。お子さんが勉強面で悩んでいるようならば、試しに無料の体験授業にお申込み下さい。
体験授業では、指導豊富なスタッフがお子さんから今のお悩みや不安などを引き出し、解決に導いていきます。