【名城紀行】~小倉城~
初めまして!いつも見てくれている人はありがとう!家庭教師ひのきあすなろスタッフの仙谷(せんごく)です。
先輩スタッフの百田さんから指令を受けて、大好きなお城と歴史の勉強に役立つ内容を発信していきます!
このシリーズを通して、歴史の面白さ、現代に伝わる古代のルーツを知ってもらえると嬉しいです。
皆さんの勉強にも旅行にも役立つ記事になるはずです!温故知新の歴史の世界にいらっしゃいませ!!
今回は小倉城(こくら)について紹介していきます。現在の福岡県。旧国名だと豊前国にあったお城です。
お城と歴史のロマンを体感しましょう!!
文部科学省 学習指導要領「生きる力」
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/index.htm
小倉城の基本情報
別名:勝山城、指月城
城郭構造:輪郭式平城(海城)
天守構造:連結式層塔型、現在は復興天守
築城主:毛利勝信?
築城年:1569年?(永禄12年?)【戦国時代】
主な城主:細川氏、小笠原氏
小倉城は細川忠興の居城として知られ、唐造り(南蛮造り)の天守が建てられたことでも有名です。幕末期には長州藩を攻める第一線基地となりました。明治時代から第二次世界大戦中には、歩兵第12旅団や第12師団の司令部が城内に置かれました。
小倉城の歴史
小倉城の歴史を語るためのキーワードは
- 森(毛利)勝信
- 細川忠興
の2つですね。順番に見ていきましょう!!
森勝信から毛利勝信へ
毛利勝信は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名です。後に毛利氏を名乗りますが、本姓は森氏です。早くから豊臣秀吉に仕えた古参の家臣で、黄母衣衆の1人でした。山内一豊の上司で面倒を見ていたこともあり、改易後は一豊に引き取られています。
秀吉による九州平定に参戦し、城井谷城攻略の過程などに関与し、肥後国人一揆では首謀者の隈部親安や甲斐親英を捕らえて斬るという鎮圧の功をあげて、1587年(天正15年)、豊前国の2郡(規矩郡、高羽郡)、小倉6万石を与えられました。この時に秀吉より森姓を毛利姓に改めるように命じられ、毛利壱岐守を称しました。
小倉では、旧城を改修して現在の小倉城を築城し、支城の岩石城は弟の毛利吉雄に預けました。その後朝鮮出兵でも武功を挙げています。しかし、関ヶ原の戦いにて、石田三成方の西軍に属したことで改易となってしまいます。そして、関ヶ原の戦いの論功行賞で丹後国宮津18万石の領主であった細川忠興が豊前国1国と、豊後国速見郡、国東郡合せて39万9千石で入封しました。
細川忠興とは
細川忠興は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名です。足利義昭、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、時の有力者に仕えて、現在まで続く肥後細川家の基礎を築きました。また父・幽斎と同じく、教養人・茶人の細川 三斎(ほそかわ さんさい)としても有名で、利休七哲の一人に数えられます。正室は明智光秀の娘・玉子(通称細川ガラシャ)です。
1577年(天正5年)、15歳で紀州征伐に加わり初陣を飾ります。織田家臣として、信貴山城の戦いなどで武功を挙げます。1582年(天正10年)岳父・明智光秀が本能寺の変後、藤孝・忠興父子を味方に誘いますが、細川父子は信長の喪に服す事を表明し剃髪することで、これを拒否した上、玉子(忠興の正室、光秀の娘)を丹後国の味土野(現在の京丹後市弥栄町須川付近)に幽閉しました。この時に父が隠居したので領国である丹後南半国を譲られ、丹後宮津城主となりました。
秀吉家臣時代には織田家臣時代をしのぐ様々な武功を挙げ、秀吉にも重宝されました。しかし、秀吉の死後に石田三成と対立し、関ヶ原の戦いでは家康方の東軍に属します。この時の功績で小倉城に入城し、天守の建設や城下町も整備され紫川で東西に二分し、西は主として侍町、東は町人や下級武士達の町としました。
1632年(寛永9年)、細川家が54万石で肥後国に移封後、播磨国明石から譜代大名の小笠原忠真が豊前国企救郡、田川郡、京都郡、中津郡、築城郡、上毛郡、計6郡15万石で入封し、以後、幕末の慶応年間まで小笠原氏の居城となりました。
文化人であり、苛烈な性格であったという忠興ですが、個人的にすごく好きな名言があります。
「家中の者どもは将棋の駒と思え。将棋の駒にはそれぞれの働きがある。桂馬は頭に歩をつかれると、取ることも逃れることもできない駒だが、一枚隔て筋違飛びの働きをする。それは飛車も角も及ばぬものだ。人もこのように、一つの役目では不調法でも、他のことで役立つことがある。何もかも、ただ一人でできる者は百人いてもおらぬものだ。主君たる者は、このことを心得ておくべきである」
仙谷から見た小倉城
小倉城は、続百名城に指定されています。福岡城、久留米城と並んで福岡県三名城とされています。
現在は勝山公園として整備されており、一部の石垣や堀が残り、唐造りの天守も再建されています。隣接する小倉城庭園には奈良や京都から職人を呼んで建てられた書院造りの大名屋敷が再現されています。
さて、小倉城についての理解が深まりましたでしょうか??
少しでも「面白いな」とか「分かりやすい」と思ってくれたら嬉しいです!
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