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【名城紀行】~丸岡城~

初めまして!いつも見てくれている人はありがとう!家庭教師ひのきあすなろスタッフの仙谷(せんごく)です。

先輩スタッフの百田さんから指令を受けて、大好きなお城と歴史の勉強に役立つ内容を発信していきます!
このシリーズを通して、歴史の面白さ、現代に伝わる古代のルーツを知ってもらえると嬉しいです。

皆さんの勉強にも旅行にも役立つ記事になるはずです!温故知新の歴史の世界にいらっしゃいませ!!

今回は丸岡城(まるおか)について紹介していきます。現在の福井県。旧国名だと越前国にあったお城です。

お城と歴史のロマンを体感しましょう!!

文部科学省 学習指導要領「生きる力」

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/index.htm
目次

丸岡城の基本情報

別名:霞ヶ城

城郭構造:連郭式平山城

天守構造:独立式望楼型 2重3階【現存12天守の一つ】

築城主:柴田勝豊

築城年:1576年(天正4年)【安土桃山時代】

主な城主:柴田氏(4万石)、本多氏(5万石)、有馬氏(5万石)

丸岡城は柴田勝家の甥で養子となった柴田勝豊によって築かれた城です。江戸時代には福井藩の附家老として城主をつとめていた本多成重がをつとめていましたが、福井藩主・松平忠直の隠居に伴い独立し、丸岡藩が成立しました。その後、本多家がお家騒動で改易となったのちは、代わって有馬氏が入封し、以後6代がこの地を治め明治維新を迎えました。「霞ヶ城」の名の由来は合戦時に大蛇が現れて霞を吹き、城を隠したという伝説からです。

丸岡城の歴史

丸岡城の歴史を語るためのキーワードは

  1. 柴田勝豊
  2. 本多成重

の2つですね。順番に見ていきましょう!!

柴田勝豊とは

柴田勝豊は戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名です。織田家宿老、「かかれ柴田」で有名な柴田勝家の甥です。

1576年(天正4年)、越前ほぼ一帯を領していた勝家は居城北ノ庄城の支城である丸岡城の城主に勝豊を置きました。勝豊はそれまでの豊原寺城から丸岡城に移りました。

しかし、1582年(天正10年)、本能寺の変後の清州会議にて勝家はライバルの羽柴秀吉の旧領であった北近江を獲得して、長浜城に勝豊を入れ置きました。代わって勝家は安井家清を丸岡城代として置きます。

実は、勝豊は勝家の実子ではなく、養子でした。そのため、実子の誕生により養子の勝豊は嗣子としての資格を失い、勝家に疎んじられるようになったこと、さらに同じ甥の立場であった佐久間盛政が勝家に重用されることに不満がありました。

そんな中、賤ヶ岳の戦いの前哨戦として、羽柴秀吉が大軍をもって長浜城を囲むと、勝豊は大谷吉継の調略を受けて、さしたる抵抗もなく秀吉に降り、長浜城を羽柴方に明け渡しました。この頃には勝豊は病を患っていたようで、賤ヶ岳の戦いの直前、1583年(天正11年)4月16日に死去しました。

その後の歴史を見ていきましょう。

1583年(天正11年)、柴田勝家が豊臣秀吉によって北ノ庄城で滅ぼされると、この地は丹羽長秀の所領となり、長秀は丸岡城主として青山宗勝を置きました。

1600年(慶長5年)丹羽長秀死後、領地はそのままに豊臣秀吉の家臣となっていた青山宗勝とその子・忠元は、関ヶ原の戦いで敗者である西軍方につき改易され、越前国には勝者の徳川家康の次男・結城秀康が入封し、丸岡城には秀康家臣の今村盛次が2万6千石を与えられ入城しました。

1612年(慶長17年) 今村盛次は越前騒動に連座し失脚し、幕府より附家老として福井藩に附せられた本多成重が4万3千石で新たな城主となりました。

本多成重とは

本多成重とは安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名です。

1572年(元亀3年)、徳川氏の家臣・本多重次の長男として誕生しました。本多重次は「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」という、日本一短い手紙を当てた人物として有名です。ここに出てくる「お仙」こそが幼き頃の本多重次です。丸岡城の近くには「一筆啓上 日本一短い手紙の館」という施設があります。

徳川氏に仕え、1602年(慶長7年)に近江国蒲生郡内2000石を加増され5000石をとなります。大坂の陣で武功を挙げ、1612年(慶長17年)丸岡4万石を領して丸岡城主となります。

そして、1624年(寛永元年)に越前丸岡4万6300石の譜代大名となりました。この時福井藩より独立、丸岡藩を立ち上げ、初代藩主となります。藩政の基礎を固めるために城下町の建設や治水工事などにも尽力し、1646年(正保3年)に隠居し、跡を長男の重能が継ぎました。

その後の歴史を見ていきましょう。

1695年(元禄8年)、丸岡藩4代目藩主の重益の治世、本多家の丸岡藩でお家騒動が起こり、幕府の裁定により改易となり、代わりに有馬清純が越後国糸魚川藩より5万石で入城しました。以後、有馬氏丸岡藩6代の居城となり明治維新を迎えました。

仙谷から見た丸岡城

丸岡城は、百名城に指定されています。他にも一乗谷城、越前大野城と並んで、福井県三名城とも称されます。さらに国内に12か所しかない現存天守の一つです。旧国宝24城にも指定されていました。

掘立柱構造の望楼型天守や、笏谷石を使った石瓦などが特長の北陸唯一の現存天守です。他にも城内に直接つながる木の階段など凄く見ごたえがあります。

さて、丸岡城についての理解が深まりましたでしょうか??
少しでも「面白いな」とか「分かりやすい」と思ってくれたら嬉しいです!

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