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【名城紀行】~大垣城~

初めまして!いつも見てくれている人はありがとう!家庭教師ひのきあすなろスタッフの仙谷(せんごく)です。

先輩スタッフの百田さんから指令を受けて、大好きなお城と歴史の勉強に役立つ内容を発信していきます!
このシリーズを通して、歴史の面白さ、現代に伝わる古代のルーツを知ってもらえると嬉しいです。

皆さんの勉強にも旅行にも役立つ記事になるはずです!温故知新の歴史の世界にいらっしゃいませ!!


今回は大垣城(おおがき)について紹介していきます。現在の岐阜県。旧国名だと美濃国にあったお城です。

お城と歴史のロマンを体感しましょう!!

文部科学省 学習指導要領「生きる力」

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/index.htm
目次

大垣城の基本情報

別名:麋城、巨鹿城

城郭構造:連郭輪郭複合式平城

天守構造:複合式層塔型3重4階、現在は復興天守

築城主:竹腰尚綱

築城年:1500年(明応9年)【戦国時代】

主な城主:竹腰氏、氏家氏、伊藤氏、岡部氏、松平氏、戸田氏

大垣城は「関ケ原の戦い」の際に石田三成らが入城して西軍の根拠地となった城です。その天守は戦前に国宝(旧国宝)に指定されていましたが、1945年(昭和20年)の大垣空襲により焼失しました。築城当時は、牛屋川を外堀の代わりに利用し、本丸と二ノ丸のみでしたが、戦国時代になると氏家直元が大規模な改修をして本格的な城郭としての整備されました。

大垣城の歴史

大垣城の歴史を語るためのキーワードは

  1. 池田恒興
  2. 関ヶ原の戦い

の2つですね。順番に見ていきましょう!!

池田恒興とは

池田恒興とは戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名です。織田信長の幼馴染で、清洲会議に出席した4人の織田家重臣の一人です。

幼少の頃から信長の小姓として織田氏に仕え、1557年(弘治3年)、信長の弟で、謀反を企てた織田信勝を殺害しました。桶狭間の戦いや美濃攻略戦も従軍し、1570年(元亀元年)の姉川の戦いで活躍し、犬山城主となり1万貫を与えられました。以後も比叡山焼き討ち、長島一向一揆、槙島城の戦いなど様々な戦いに参陣し、織田信忠の付属でしたが。有岡城の戦いに従軍し、有岡を与えられました。

1582年(天正10年)に本能寺の変にて信長が討たれると、羽柴秀吉と合流し、山崎の戦いにて兵5,000を率いて右翼先鋒を務めて光秀を破り、織田家の宿老に列しました。この時に豊臣秀次を恒興の婿に、次男輝政(照政)を秀吉の養子とすることを約束しました。

織田家の後継を巡る清洲会議では、柴田勝家らに対抗して、秀吉・丹羽長秀と共に信長嫡孫の三法師(織田秀信)を擁立しました。領地の再分配では摂津国大坂・尼崎・兵庫12万石を獲得し、恒興は大坂に移りました。

そして、賤ヶ岳の戦いの後、この地域の支配権を獲得した羽柴秀吉により、1583年(天正11年)に池田恒興が15万石で大垣城主とされました。池田氏以後、大垣城は近世城郭としての整備が進みました。

1584年(天正12年)、徳川家康・織田信雄との小牧・長久手の戦いでは、去就が注目されましたが結局は秀吉方として参戦しました。

3月13日恒興は大垣城から出て、犬山城を占拠します。家康はこれに対抗するために小牧山城に布陣します。

3月15日恒興の婿である、森長可は兼山城を出て、16日羽黒(犬山市)に池田勢より突出したかたちで着陣しましたが、すぐに徳川軍に知られ、森長可は支社300余人を出して敗走します。

3月27日、豊臣秀吉が犬山城に到着しますが、戦況は膠着状態に陥っていました。そこでとある作戦が立案されます。”三河急襲作戦”です。徳川家康の本拠地を狙うのが目的でした。

4月6日夜、密命を受けた4部隊が行動を開始します。

第一隊 – 池田恒興 – 兵5,000人
第二隊 – 森長可 – 兵3,000人
第三隊 – 堀秀政 – 兵3,000人
第四隊 – 羽柴秀次 – 兵9,000人

4月7日家康は農民や伊賀衆からの情報で秀次勢の動きを察知します。織田・徳川軍は主力の到着にともない小幡城で軍議をおこない、兵力を二分して各個に敵を撃破することに決しました。

4月9日池田恒興勢が丹羽氏重(氏次の弟)が守備する岩崎城(日進市)の攻城戦を開始します。恒興はこれに勝ち、羽柴秀次、森長可、堀秀政の各部隊は、現在の尾張旭市、長久手市、日進市にまたがる地域で休息し、進軍を待ちました。

同日4時35分ごろ、羽柴秀次勢に後方から水野忠重・丹羽氏次・大須賀康高勢、側面から榊原康政勢が襲い掛かります。この奇襲によって秀次勢は潰滅します。秀次は自身の馬を失い、供回りの馬で命からがら逃げ遂せました。

羽柴秀次勢の敗走を知った、堀秀政は直ちに引き返し、秀次勢の敗残兵を組み込んで桧ケ根に陣を敷き、迫り来る徳川軍を待ち構えました。秀次勢を撃破して勢いに乗った徳川軍は秀政勢に襲い掛かりますが、秀政はこれを返り討ちにします。

しかし、織田・徳川軍の主力は堀秀政勢と池田恒興・森長可勢との間を分断します。秀政は家康の馬印である金扇を望見し、戦況が有利ではないことを判断、池田と森の援軍要請を無視して後退しました。
岩崎城を占領した池田恒興、森長可に徳川軍出現の報が伝わり、両将は引き返しはじめました。4月9日午前10時ごろ、両軍が激突します。戦況は一進一退の攻防が続きましたが、前線に出て戦っていた森長可が狙撃されて討死して池田・森軍左翼が崩れ始めると、徳川軍優勢となりました。池田恒興も自勢の立て直しを図ろうとしましたが、永井直勝の槍を受けて討死にしました。池田元助も安藤直次に討ち取られ、池田輝政は家臣に父・兄は既に戦場を離脱したと説得され、戦場を離脱しました。

関ヶ原の戦いの舞台となる

池田恒興が戦死すると息子の輝政が継ぎましたが、翌年の1585年(天正13年)には輝政は岐阜城主に転じ、一柳直末が、大垣城に配されて3万石を領しました。

1590年(天正18年)の小田原の役で一柳直末が戦死したため、この戦いで功を挙げた伊藤盛景が城主とされ、1599年(慶長4年)に盛景が死ぬと子の伊藤盛宗が跡を継ぎました。

1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの際には、城主・伊藤盛宗が西軍に属したため、石田三成ら西軍の主力部隊が入城して根拠地となりました。その後、西軍本隊は関ヶ原に移動、城内には福原長堯(三成の義弟)らが守将となって残りましたが、関ヶ原の本戦で西軍が敗北すると東軍に攻囲され、相良頼房、秋月種長・高橋元種兄弟らの裏切りにより窮した福原は、やむなく西尾光教の仲介で降伏勧告を受け入れて落城しました。

江戸時代に入り、徳川家康は譜代大名として石川康通を城主にしました。1635年(寛永12年)に戸田氏鉄が城主となって以降、明治に至るまで大垣藩戸田家の居城となり、1873年(明治6年)に発布された廃城令により廃城となりました。

仙谷から見た大垣城

大垣城は、続百名城に指定されています。旧国宝24城にも指定されています。

現在ある天守は1959年(昭和34年)に外観復元されたもので、中は「関ケ原の戦い」についての資料館になっています。関ヶ原の合戦を石田三成・徳川家康両者のモノローグでリアルタイムに追ったムービー(各約30分)など様々な動画コンテンツを閲覧できます。火縄銃や槍、弓を実際に触ることができる展示コーナーもあります。

さて、大垣城についての理解が深まりましたでしょうか??
少しでも「面白いな」とか「分かりやすい」と思ってくれたら嬉しいです!

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